西陣千本商店街振興組合事務所より、自転車でおよそ5分、千本一条通を東に行くと、ふとしたところで黒田如水【本名:黒田 孝高(くろだ よしたか)。黒田官兵衛の名でも知られる】邸の址地を見つけることができた。そこは、「如水町」という地名であるが、おそらくこの大名にちなんで付けられたものであろう。
黒田如水(1546 - 1604)は、戦国時代最高の軍師の一人として賞賛される武将。織田信長の命により中国の毛利攻めを開始した羽柴秀吉(のち、豊臣秀吉)は、まず最初に播磨国平定に乗り出した。このとき如水は小寺氏配下の武将として姫路城を預かっていたが、いちはやく信長の天下取りの成功を予期して秀吉に寄り添い、姫路城をその拠点として明け渡す。後に信長に叛いた荒木村重を説得しようとして摂津伊丹城に赴き、かえって幽閉されるなどの苦労をした。しかし秀吉の与力として変わらず毛利攻めに参加し、備中高松城攻めでは水攻めの奇策を発案したとも伝えられている。本能寺の変に際しては秀吉に「大博打を打ちなされ」と囁いて天下取りをそそのかし、かえって秀吉に油断のならぬ男と警戒されたと言われている。その後には山崎合戦、賤ヶ岳合戦にも参加し、秀吉と徳川家康とが衝突した小牧長久手合戦では岸和田城を守って家康に呼応した根来・雑賀衆の襲撃を撃退した。四国攻め・九州攻めでは、軍師として参加し多くの勝利に貢献した。
秀吉が関白の位に就任して政務所として右京の土地に築いたのが、聚楽第。諸大名もまた、聚楽第の近辺に邸宅を設けた。この如水の邸宅跡もまたそうであり、今は破却されて跡形もない聚楽第の東北部に位置している。彼はドン・シメオンという洗礼名を持つキリシタン大名でもあったところが、面白い。
- 【住所】
- 上京区一条通猪熊西入如水町
- 【見所】
- 町並み
- 【近隣スポット】
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- 【近隣グルメスポット】
- 松屋常盤 (京都市中京区堺町通丸太町下ル橘町83)
プチレストラン(京都市中京区柳馬場通竹屋町下ル五丁目232) - 【関連人物】
- 黒田如水、豊臣秀吉
- 【西陣レンタサイクルからの所要時間】
- 5分
- 【近隣の通り】
- 一条通、黒門通、猪熊通、堀川通





