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映画発祥の地て・・・・・・?!

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日本での『映画の発祥の地』と『映画の歴史』を・・・・・・。


映画の歴史百年を語る時やはり、先人の京都人を語らなくては成らないでしょう。
○ 稲畑 勝太郎 (1862-1949) 
○ 横田 永之助 (1872-1943)
○ 牧野 省三   (1878-1929) の三名である。
その当時日本は欧米産業の導入に躍起になっておりました。
1877年(明治10年)京都府は8名の若者を渡欧させました。そのメンバーの中に稲畑勝太郎が選ばれておりました。
稲畑勝太郎はフランスに15才と言う若さで留学しておりました。リョン市の工業大学に入学し絹織物の染色の技術を学んでおりました。
その中に同窓で友人のオーギュスト・リュウミエール兄弟がおりました。

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その後稲畑勝太郎は染色技術を日本に持ち帰りました。この事により西陣の織物が大きく一変(自然染色から合成染色に)し、これにより西陣の繁栄し発展して行ったのです。
その後彼稲畑は1896年に再び渡仏し、友人オーギュスト・リュウミエールと再会して、彼が発明した映画技法(シネマトグラフ)を見て、科学の発達と文化の躍進に驚き、彼はいち早くアジアの興行権を買い、映写機とフイルムを輸入したのです。これが映画の元祖なのです。
そして、後に日活を作る横田永之助(1872-1943)は京都の宮家の旧臣生まれで彼は長く渡米しておりまして、22歳で帰国し、その時にアメリカからX光線(レントゲン)を日本に待ち帰り、その後兄の友人である稲畑勝太郎からシネマトグラフの興行権を譲り受けたのです。彼横田は再び渡仏し、パリーのパテー社とフイルムを直接購入の契約を結ぶ事に成功しました。
その当時日本では日露戦争が勃発いたしまして、皆さんも良く御存じの通りりロシアとの戦争に日本は大勝利をしました。

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そして、勝利の大将である乃木大将が日本に凱旋帰国しました。それまでのニュースと言えば写真での報道であったが、これにより映画で報道される様になったのです。

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牧野省三は1878(明治11)年9月15日京都の西陣千本生まれ。母寄席と置屋を経営し、そのかたわら義太夫の出稽古をしながら子供を育てた。映画製作にあたって脚本を用いず、ストーリーや台詞を空で語ったというが、こうした素地はすべて母から譲られたものであったに違いでしょう。
その後1901(明治34)年、牧野は父親の協力を得て芝居小屋・千本座を買い取り、企画から出演交渉、構成、演出、振付までを一手に引き受け才覚を発揮しました。
横田永之助は活動写真の上映を千本座に委託していたことから、映画製作を開始するに当って牧野に白羽の矢を立てたのです。横田商会で最初に撮影した映画は「本能寺合戦」で出演者は全て千本座一座がしたとの事です。1909(明治42)年に牧野は旅回りの役者であった尾上松之助(1875?1926)を見出し、彼の主演で次々とヒット作を生み出していった。

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二人の最初のコンビ作は「碁盤忠信」でした。そして二人のコンビ作は1921(大正10)年までに実に200本に及んだと言われております。

この様にして京都の西陣千本が映画の発祥の地なのです。





映画の歴史100年は何の意味もなく存在したのではなく、その映像の世界の中から、
少なからずも世界文化・日本文化の歩みを知り、叡智の多くを学ぶ事が出来たと思われます。
そして、一番鋭敏な時期1950年代から60年代が洋画と共に日本映画の後期黄金期を中心に素晴らしい作品が多く御座いました。
そうした中より、私が会員であります『金曜・土曜映画懇談会』では京都アスニーにて上映し懐かしい思い出の名作や隠れた感動の名作をも含めて鑑賞して映画ファンをはじめ皆様方と古き良き時代の映像文化の一端を楽しんで頂きまして懇談をする会です。
そうして上映作品のポスター画を描いて15年余りになり約600点程に成ります。その作品の中より『京都映画祭』を中心に各地のガャラリーで展示させて頂いております。尚、今回『京都映画祭』実行委員会が本年度より『特定非営利活動法人』で『京都映画倶楽部』を設立し、私も当法人の会員に成っております。最後になりましたが一昨年当地日本映画の発祥地である、西陣千本商店街振興組合の皆様のご依頼をお受けいたして微力ながらポスターを展示させて頂きました。皆様方のご尽力を御配慮に深く感謝申し上げます。

                                             
                         文・ 挿し絵  福住富雄

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